MANX GRANG PRIX 2007 --3-- 27/Aug/2007




8月27日(月) 5日目 最高と、最悪の瞬間。
 きちんとしたベッドでの目覚めは穏やかだ。強風でテントが飛ばされやしないかという寝袋での睡眠の不安とは無縁の、安心感に満ちたものだった。ホテルは海沿いに建っているので、窓からは穏やかな海が一望でき、綺麗な日の出も見えるそうだ。宿泊費は小さな島の割りには一丁前だが、この開かれた海の景色が付いてくるならば許せるか・・・朝食はホテル内のCanteen(食堂)にてバイキング形式にて用意されているらしい。誰が行っても分からないのでは?とDB NORIに聞くと、きちんとテーブルが別れているため、単身での宿泊者のテーブルにはきちんと一人前しかプレートなどが用意されていないそうだ。ちぇっ。ならば宿泊者の客として、代金を払ってもいいから一緒に食べさせてもらおうと食堂へ降りていく。

 若そうで、いかにも繁忙期のみのバイトといった風情の若者にその事を伝えると「えーあーうー。ゴモゴモ。」と調子が出ないキャブレターみたいだ。「僕には分からないから、取り合えず駄目。」なんておバカな答えで俺の朝飯がお預けになってしまうかもと、日本ではあり得ない対応の悪さを覚悟しているところにボスらしき女性が登場。理由を説明すると威勢良く一言「あぁ、食べなさいな。」と。「へ、タダでいいのか?」とその懐の深い姉さんに感謝して席に着く。すぐに他のスタッフがプレートをセットしてくれたので、しめしめと無料ブレイク・ファストをタラフクいただく。(画像はよそ様からのものです。)バイキング形式とはいえ、ここは英国。チョイスはかなり限られている。ベーコン、ソーセージ、目玉焼き、スクランブルエッグに焼きトマト、そして仕上げにイギリスのソウルフード、「ビーンズ」をドパっとかける。マン島名物の一つ、「キッパー」と言う燻製されたニシンもあったが、朝一は匂いがきついのでパス。(ビーンズは日本人には好き嫌いが別れるが、トマトソースで煮込まれた大豆。) 「バイキング」と言うよりは、食べ放題の「イングリッシュ・ブレイクファスト」だ。またしても余談だが、このイングリッシュ・ブレイクファストはシルクハットを被った優雅な「英国紳士」をなぜか連想させるネーミングとは打って変わり、非常に野趣溢れる朝食だ。いや、現代に於いては「朝食」ではなく一つのメニュー名であると言える。基本は上述した品々が一つの皿の上にどちゃっと乗ってくるだけ。大抵のカフェではその内容を色々とチョイスする事が出来、品数が多い方がモチロン高い。チップス(イギリス語でのフライドポテト)が付いている事がほとんどで、それに塩と酢をかける事もまた英国の象徴であろう。慣れない内は蒸れた靴下のような匂いを連想し、気が引けるがこれが美味い。日本の酢とはまた違う味なのだ。そしてトーストが付いてくる事もままある。それらを一気にかっ込む訳だ。マナーもへったくれもない。「食え!腹を膨らませろ!」というコンセプトが明快な「イギリス朝食」という名の一皿料理だ。いや、料理ではない、一皿「盛り合わせ」だ。これを読んでいる方には、自分がこの英国朝食なるものをバカにしているように聞こえるかも知れないが、これが案外楽しい。ベーコンを一かじり(日本で売っているペラペラの物ではない。)、そしてすぐにチップスを口に押し込む。そのセクションの次はソーセージをビーンズのトマトソースに付け口に運ぶ、そしてビーンズもついでだから放り込む。もぐもぐやっている所にさらにトーストをヒトかじりして追い撃ちをかけ、のどが詰まりそうなったら、最後に紅茶で流し込む。リズムに乗って黙々と食べるのが通だ。ナイフなんて極力使うな。フォークでぶった切れ。フォークの背中を使う事が正しいマナーなんて言っている奴は駄目だ。ワイルドに行け!それが楽しいのだ。(注:あまり高級なホテルでは行わないように。街用のカジュアルWAYである。) 話がそれたが、景気のいい姉御のおかげで美味い朝食にありつけた。きちんと綺麗に対角線で切られた、三角形のトーストがこれまたきちんと金属のトレイに乗せられてテーブルごとにサーブされる。ベーコンやソーセージも美味い。ビーンズも甘みがあってそこらの最安値のものではない。ジュースもうそ臭いジュースではなくて、きちんと果肉が入ったものだった。ごちそうさまです。マン島へ行った際は是非ホテル「Port Erin Royal」を!! (せめてものお返しに宣伝を。)



 さてさて、腹も膨れた事だ。これからの今日の予定に目を向けよう。本日はレース初日であり、その後にVMCC(Vintage Motor Cycle Club)によるパレードがある。そのパレードの参加条件が何故だかとても厳しい。70歳以上の参加者は医師からの健康診断書が必要とある。さらにタンデム禁止、サイドカー禁止、ウェアはレザー、もしくはしっかりした素材のものでジーンズなどの場合は必ずもう一枚オーバーパンツを履くように。ヘルメットも規格に通っているもの、そして荷物の積載禁止などなど。たかがパレードに何でそこまでするんだ?という疑問と共に、自分が履いているボトムスが大丈夫か気になって仕方が無い。ジーンズと似た生地なのだ。ヘルメットにいたっては約30年のヴィンテージ物のため、現在の規格を通っているはずがない。30年以上も前のバイクでたらたらパレードするのに、どうしてそこまで厳しいんだろう?現地に行って、駄目だといわれたらどうしろっていうのよ。と心持ち不安である。

 まぁまぁ、まずはレースを見に行こう。GSOC(BSA GOLD STAR OWNERS CLUB)のマルコム、ロンとDB NORIでレース観戦へ。彼らはマン島の常連なので、彼らに任せてただ付いていく。既にロードがクローズされているので、回り道をしつつ、ダグラスの近くまでやって来た。ここは、Braddan Bridge(ブラダン・ブリッジ)と呼ばれる場所(マップ★B)で、通称「Zコーナー」と言うんだそうだ。有料の観戦ポイントに言われるがまま付いていき、4ポンドを支払い席を取る。曇りで、少し肌寒い。時折ピリピリ雨がぱらつく嫌な天気だ。DB NORIとティーストールで紅茶を買った、が、最高に不味い。水に妙な金属臭がして気持ち悪い。DB NORIが「こっちの水って一日置いておくと不味くなんだよなー。」と言っていたのはこの事か!? それとも保存に使う容器の問題か。んー、テンション下がるなぁと思っていると誰のラジオからかレース開始のアナウンスが聞こえてくる。マルコムが「グランドスタンドからここまではほんの数分だから、すぐに来るぞ。」と教えてくれた時には既に排気音が聞こえてきた!!席からは丁度Zコーナーが丸見えで、直進してきたレーサーが、左、そしてすぐに右に切り替える様が綺麗に見える。このレースはNew Comer(新人)のレースで、モダンなマシーンばかりだ。何だか切り替えしが遅いんじゃないの?なんて調子にのった事まで思う始末。(しかし、後日、夜間走行中にこのカーブの恐ろしさを知り、この舐めた発言は完全撤回・・・) このレース「New Comers Race」(ニューカマーズ・レース)は他のレースと同様にコースを4ラップ(242,8km)する。赤いゼッケンに白いナンバーがニューカマーの目印で、プラクティスも彼らのために別枠が設けられている。2つクラスがあり、クラスAはYamaha R6 600cc, Suzuki GSXR 750cc, Honda CBR RR 600cc, Kawasaki ZX6R 600ccなどなど。クラスCはYamaha FZR 398cc, Honada RVF400cc, Kawasaki AXR 400ccなどが主な出場車で、日本車一色となっている。





恐るべし「Z」コーナー。道幅が実際は見るよりも狭いので、夜間に飛ばしているとかなりの急カーブにギョッとする。




コースの横手には目印となる大きな教会がある。ここも今日は駐車場と化す。
Zコーナーを抜けた後のストレート。



 レースを途中まで見た後、パレードの集合地点に向けて出発。その際、マルコムにパレードのルールで荷物の積載が禁止されている事を告げると、自分のタンクバッグとサイドバッグを快く彼の車に積んでくれる事になった。しかし、マルコムはパレードに参加しないため、工具を含め色々と入っている荷物を再び南西のポートエリンまで、取りに行かなければならない事となった。これも後のアクシデントの要因となるが、そんな事は知る由も無い。

 ロンが走るがままに、彼の後ろをDB NORIと共に集合地点である St John'sエリアのBallacraine(バラクレーン)へと向かう。(マップ★BL)脇道を入ると砂利の大きな広場があり、数百台のクラシックバイクがラリーのために既に集合している。スタッフに誘導されて進んで行くと、そのままマシンのスクータニアリング(検査)を受けるようになっていた。適当に流していくのかと思いきや、各部に変なガタが無いか、フロントフォークの動きなどもチェックしている。DB NORIはすんなりパス。いよいよ自分の番がやって来た、という時にスタッフが他のスタッフとこそこそ話をしていたため何か疑わしい箇所があるのか!?と焦ったが、ハンバーガーを頼んでいただけだった。自分も無事にパスし、次は用紙を渡されてサイン。「死んでも転んでも自分の責任であり、クラブは関係ありません。」と言った旨のものだ。

 無事にサインオンが完了して駐車する。「FAST(速い)」「MEDIUM(そこそこ)」「SLOW(遅い)」の3種類の立て札が立っている。なるほど、年代も違うし統一できるようにしているのかな?と思い、FASTに停められた車両を見ていると、DUCATIやらMOTO GUZZI、ラベルダなどの70年代の旧車がごろごろいる。うーん、となると自分は無難なMediumに入ろうと、FASTの奥に進んでいくと戦前のエクセルシャーやノートン・インターナショナルなど、戦前のマシンが数台FASTに陣取っているのを発見!「こいつら、40年ぐらい製造年月に間があるのに勝負する気か!?」と興奮したが、後でその中の一人から理由を聞く事が出来た。旧車にはミラーをつけている車両が少ないため、こちらが追い抜こうとしてもミラーを付けていない車両は気づいていない事が多く、そのため予想出来ない動きをするかもしれない。だから追い越していくよりも、速いグループに入ってしまって、後ろからドンドン抜かされる方がミラーを付けているので安全だし、気楽という事らしい。しかし、戦前バイクでFASTにいる全員が同じ考えでは無いだろう。中には、「俺のマシン(30年代製)はそいつら(70年代製)よりも速い。」と息巻いているライダーもいたはず!?

 VMCCのスタッフにDB NORIと自分が呼ばれた。これからアナウンスするパレードのルール、注意事項を聞くだけだと不安かもしれないので、念のため事前に読んでおいてくれ、という事だった。パレード中は基本的に左車線を走り、右は追い越し車線。追い越しは絶対に右側より。マーシャルが所々に走っているので、彼らの指示に(スピード落とせなど)気をつけるように、などなど。ふいに「お前のヘルメットは基準を満たしてるのか?」と尋ねられて肝を冷やしたが、「YES!!」と咄嗟に答えるとそれ以上突っ込まれなかった。が「60年代当時の基準ですが。」と聞こえないようにボソッと付け足しておいた。気になっていたボトムスもひざ辺りに入っている切り替え線がパッド入りにでも見えたのか、お咎め無しで後は走るのみとなった。

 まだ時間が余っているようだったため、DB NORIともう一つのレースを近場まで見に行く。バラクレーンのコーナーで、角にピンク色をしたパブが建っているのが目印。これも古くからの建物なようで、昔のTTの写真を見ても登場する所だ。人だかりが出来ていて、中々前まで出れないので石垣に登り、何とか場所を確保。カーブに差し掛かるため、遠くからシフトダウンしてくるサウンドが聞こえだすと、すぐに茂みからレーサーが現れる。そして右へベッタリとマシンを寝かせてコーナーを抜け、加速していく。近くには信号や民家もあり、まさに「公道レース」だと言う事をつくづく感じられる観戦ポイントだ。草むらに無造作に置かれたラジオからはレースの模様が流れてきて、ほのぼのとした「マンクスグランプリ」の空気が心地良い。ちなみにこのレースはSENIOR CLASSIC(シニア・クラス)で、351cc〜500ccまでのクラシックレースであり、NORTON MANX、MATCHLESS G50を筆頭に、BSA GOLD STAR、TRITON、VELOCETTE VENOM、そしてHONDA CB450などなど70台を超す車両が出場する。

 4ラップの内、3ラップを見た所で集合時間が迫ってきたので先ほどの場所へ戻る。もう少しはゆとりがあるようだったので、ティーストールでお決まりのぬるいバーガーを買い、急いで腹ごなし。いよいよ出発のアナウンスが入り、一斉にエンジンがかかる。戦前のマシンから70年代までの数百台のエンジンに火が入ると辺りはそれまでのほのぼのした雰囲気が消され、空気が大きく振動する程に排気音が重なる。まずは出発地点まで移動するだけの短い距離だったが、その一員になっているという事だけでも興奮する。2列縦隊に編成され、出発を待つ。その時、DB NORIがプラグの焼けをチェックしようと、マシンから降りてツールボックスをゴソゴソしていると、危うく日本から運んだ愛車が倒れそうになり周りの度肝を抜いた!! サイドスタンドが不安定で、「グラリ!」と傾いた時は何人かが驚いて支えようとしたほどで「OH!!!!!!!!」と驚きと安堵の歓声が辺りから聞こえてきた。ここでも人気者のDB NORI!?

 待ち切れた頃にようやく出発開始。2台ずつ順番に、5秒おきにコースへ出て行く。まだまだ心の中では「パレード」という、何となくチンタラ走るイメージが残っていて、しばらくは80km程で左車線を走っていた。しかし突然、かなりのハイスピードで右車線からぶち抜かれ、ハッとした。「そうだった、今はレースと同じ、道路が全てクローズされた状態だった!!反対車線から車が来る事は無い。全車線、全て使って良いんだった!」と気づくと同時に、自分が憧れていた絵の中に今、存在するのだと実感し、感動が溢れる。何故か懐かしささえ感じるこの島。そう、ここはモーターサイクリストにとって、聖地であると共に、「HOME」でもあるのだ。だからこそDB NORIは「マン島をゴルディで走りたい。」ではなく、「ゴルディをマン島で走らせてやりたい。」という想いで運んできたのだ。

 シャロンが言っていた言葉をふと思い出す。「地球には「レイライン」と呼ばれる線が走っていて、そのライン上にストーンヘンジが存在する。マン島もその場所の一つなのよ。」と。そんな不思議なパワーがある場所ゆえ、何故か引き寄せられて、懐かしくも思ってしまうんだろうか。親しみのある感動。こんな辺鄙な島で百年もレースが続くのは何故なんだろうか。選ばれた場所。

 前方を走るマーシャルが左車線にいる時は抜かしていいのだと解釈し、アクセルを一気に開ける。そういえば、マン島コースのこの部分はまだ走っていなかったので、ラムゼイまでのこのパレードでやっと、トータルで一周を走った事になる。木々に囲まれたアップダウンのある走りやすいコースで幾台も抜き去っていく。好き放題に車線を使える快感!! ある箇所で前を走るマーシャルが「スピードを下げろ」と指示していたので、それに習う。すると、すぐにジャンプスポットで有名な、かの「Ballaugh Bridge」(バラフ・ブリッジ)にさしかかり軽く飛び上がる。その小さな橋を超えるとすぐに急な右カーブと続くため、オーバースピードで入るとかなり危険な箇所だ。もしその指示が無かったら、と思うとぞっとする。コース各所の観戦ポイントでは観客がこのパレードを見物していて、自分があたかもレーサーになったように錯覚する。もしワンピース・スーツ(革つなぎ)なんて着ていると尚更だろうな。前方にDB NORIの姿が見えた。左車線でその時はのんびり走っているようだったので、ゆっくり走っている今がチャンスだと、張り切ってアクセルを開けて抜かせてもらった。にやり。パレードは半周なので、30km弱しかない。しかも当然信号もまったくないのでノンストップだ。時速100kmオーバーで走るとあっという間。20分も走っていなかったのだろう。前方でマーシャルが横道に入るように旗を振っている時は「もう終わり!?」と名残惜しかったが、これだけでも結構集中力を消費するため、休み無く4周も走るレーサーの集中力を考えると恐ろしい。

 終わってみれば、これは「パレード」という柔和な響きのものではなく、DB NORIの言葉を借りれば「Almost Racing」(ほぼレース)だった。そんなパレードを走り終えた車両が「Mooragh Park」(ムーラパーク)という、湖がある場所に続々と再集結してくる。まだ感動と興奮の余韻が残っていて、DB NORIとがっちり握手。「俺達やったんだな。」という気持ちが、その握手に込められているのだ。そう、走ったんだ、あのTTコースをレースと同じコンディションの中で!! 一生忘れる事が出来ない思い出だ。こんなに自分が感動するなんて、来る前はとりあえずマン島に辿り着けるかで必死だったため、何にも考えていなかった!単純にクローズドコースを走るだけでこれだけ感動するんだから、レースなんて出て完走するとどれだけの達成感が得られるんだろう。参加者もみんな気が昂ぶっている様で、不思議な一体感さえ感じる。目が会う度に笑顔をかわし、楽しかったなぁーと会話を交わす。マン島のマジック。ただイベントに参加するだけのものではない。そこにいる人々が優しいのだ。いや、マン島に来るとみんな優しくなれるのかも知れない。





噂の「FAST」コーナー。左と右の年の差何歳?




Norton CS1 1928年 500cc ロンドン郊外からやってきた美しいマシン。
Japエンジン搭載の1932年製。オーナーはスイスからマン島へ。美しい造形美。タンクとフレームが一体に?







無造作に置かれたラジオからレースの中継が流れてくる。
ゼッケン9はPetty Manx 500cc。信号機とレーサー。まさに公道レースな一枚。




トライアルバイクも一息つきに、レース観戦。
AJS 7Rのメガホンマフラーは迫力!




Egli Vincent スポーティーなヴィンセント。
真紅が美しいMOTO GUZZI は1939年のCONDOR。




マン島のカメラショップが撮影を担当していて、オンラインで購入可能!! 走行中の写真は嬉しい。
ちなみに↓のWEBでそれらの写真の閲覧が可能!!
http://keigs-sport.photolist.net/index.cgi?ac=fs&gal=5450




集合地点のムーラパーク。中世の別荘地のようで、清らかな雰囲気がある。
VMCCの仕切り役、テリーと。




何でも搭載するフェザーベッドにはDUCATIのLツインもお手のもの?
GSOCの面々と。






 しばらくDB NORIと余韻に浸った後、昨日GSOCのミーティングで会ったデイブと奥さんのジーン、そして娘でありレーサーのKAY(ケイ)のパドックを訪れにダグラスへと向かう。その道のりで、さっきまでのパレードの感覚が残っていたため、危うく反対車線に飛び出しそうになってヒヤっとした。キャンプ場(パドック)の中にはバイクを入れずに、大人しくグランドスタンドのスペースにバイクを停め、我が寝床の様子を見に戻る。昨日の夜は風が強かったため、何か飛ばされてやしないかと心配だったが杞憂に終わりほっとした。デイブ達のキャンピングカー&整備用のテントは自分の位置とは水場を挟んで反対側で、たった数分の距離。DB NORIは彼らと数回の面識がありとても仲が良い。DB NORIが現れると皆でっかい笑顔で彼を迎えていて、傍にいる自分も嬉しくなる。ケイと彼氏を紹介してもらう。彼女は今年で30才。普通の格好をしているのも手伝って、いたって普通の、華奢な女性だ。こんな細腕でシーリーフレームにどっかと鎮座する350ccの7R、6速ミッションのレースバイクに乗るんだから男、形無しです。そのマシンに跨らせてもらったが、余分なものの無い、削りとられた車体からはキッと引き締まる緊張感が伝わってくる。このマシンに一時間半以上、スロットルを絶えず全開にして乗り続ける集中力は絶対自分には無い!今回のレースでは彼女、ケイは平均時速約85マイルでコースを周回したそう。85マイルとは140km近い速度!!んー、無理。

 その後グランドスタンドで、DB NORIの友人で同じくゴルディ乗りのつとむさんと待ち合わせる事に。グランドスタンドで紅茶をすすりながら、つとむさんの登場を待っていると風が冷たくなってきた。昼間、陽が出ていると穏やかで過ごし易いが、日が暮れてくると一気に冷えてくる。マン島滞在中はフリースのジャケットにライダースジャケットかワックスコットンジャケットの組み合わせだった。まだ8月下旬だって言うのに!

 つとむさんファミリーと一緒にメシでも食おうと、ダグラスの海辺まで下りてインド料理のレストランに入る。DB NORIのゴルディはライトの点灯に不安があるため、早めに切り上げた方がいいのでは?とDB NORIは言った。が、後から自分で言った事を呪うとも知らず、「折角だからゆっくりしましょう。」と言い放ち、カレーを囲んでわいわいと談笑。楽しい時間は過ぎるのもあっという間で、9時ごろになったため帰途につく事にする。これからポートエリンに荷物を取りに戻り、再びダグラスのキャンプ場へと帰ってくる予定なので、あまり遅くなると体力的にきつい。そして寒い!!





ナイススマイル!右端のレディが、レーサーのKAYであります。
やる気満々のDB NORI.。皆の笑いを独り占め!!



 つとむさん達に別れを告げて、DB NORIとダグラスを出発する。彼のマシンのライトは接触が悪いのか、ぼんやり点いたり消えたりしている。ダグラスからA6に乗り、しばらく行くとさっきまでの街中と打って変わり、街灯がほとんど無い道に入る。バックミラーでDB NORIの姿を確認しながら走っているとライトが相変わらず点いたり消えたりしている。ゆっくり走っているため、ドンドン車に抜かされ、かなり肝を冷やす。どれくらい走ったのだろう、ふとバックミラーを見るとDB NORIの姿が全く見えない。ライトが全然点かなくなってしまったのか、それともどこかで停車しているのか、街灯が無いため全く判らない。一度路肩にでも停まる事にした。しかし、ただの道路脇だと追い抜かされる度にぶつかりやしないかと不安になるため、停車できるスペースを探す。

 少し先に停車用に道路のホワイトラインが窪んでいるのを見つけた。そこへ車体の舵を向け、ブレーキをかけた瞬間に突然体が傾いた!! 「エッ!?」と感じた時には、既に遅し。勢いよくスリップした車体を立て直す間もなく、右側に激しく転倒!!何が起こったか全然整理できないが、転けた事は確か。自分は体を打ち、数メートル手前にマシンが横たわっている。「何てこった!」とすぐに駆け寄り車体を起こそうとした時、ハンドルを掴んだ際にスロットルを少し開けてしまった。まだエンジンがかかっていたため、接地したタイヤが走り出そうとしてしまい、危うく下敷きになる所だった。スロットルワイヤーが曲がっているためか、アクセルが戻らず、回転が上がってしまう!かなり焦ったが、寸での所で何とかキーを切り、やっとの事で車体を起こす。

 茫然自失。何だ?何だ?何だ? やるせない憤りが沸き起こってくる。何で今、ここ、マン島で転けなきゃいけないんだ?DB NORIはまだ姿が見えないため、ひょこひょこと歩いて道を戻っていくと百メートルほど離れた所で停車していた。自分が転倒した事を告げ、ひとまずそこまで行く。ダメージを見なければいけないが、見たくない。無傷な訳無いから。 

 幸い、体には大した傷も無く、芝生上で転倒したため軽い打ち身だけのようだ。しかし、我が愛車には手痛いダメージを受けてしまった。フロントのフェアリングはフレームに付いている太いメインステーそのものがかなり曲がってしまい、元々の3ピースから、トップの1ピースにする際につくったステーも無残にS字型に曲がってしまっている。フェアリング自体もフロントのバブルカバー、スクリーン共に割れ、本体自体にも割れと擦れがある。そしてステーを停める箇所がバキバキになってしまっているのでもう使いものにならないだろう。衝撃でフェアリングがスピードメーター、レブカウンターケーブルに干渉し、ケーブルも2本とも駄目。ステップ関係は問題無し、エキパイが内側に曲がっていたので無理やり引っ張って元に戻す。ハンドルがタンクに当たり、タンクに凹み。気持ちにも凹み。

参った。

 と、その時、看板の明かりの下でマシンをチェックしていたDB NORIが「OH,NO!!!!!!」と叫ぶ。何事かと思ったら、タンクの左右に付くBSAエンブレムバッジの片方がどこかで飛んでいってしまったらしい。が、こけた訳じゃないしそれぐらいええやん!と突っ込んだ、内心で。笑 通りがかりの車が停まってくれて、車に積んでやろうかとオファーしてくれたが、一台しか載せられないとの事なので、とても有難かったけれど断った。その代わりにと言うか、ビニールテープを拝借して、ガタガタになっているフェアリングとライトをとりあえず貼り付ける。マルコムに預けた荷物に全て工具が入っているので丸裸も同然だ。そんな時に限ってアクシデントが起きるんだから面白いものだ。一人は転倒してその応急処置を。数メートル先では薄暗い明かりの中、もう一人がライト周りをばらして配線のチェック。何やってんだこんな夜に?

 ふと上を向くと、雲の切れ間からぽっかりと満月が自分達を見下ろしていた。まん丸で、明るい。こんなに綺麗で、近い月を見たのは久しぶりだ。と、思うと同時にイギリスの辺鄙な島で、ぽつねんと自分が在るのかと思うと無性に自分が小さく感じた。虚しいやら、そして結局はここ、今まさにこの地点にこうやって立っている事を選んだ、そんな生き方を選んだ自分がおかしいやら、不思議な気分だった。

 DB NORIのライト周りを直し、ヒューズを取り替えるとライトが点灯したため、先頭をお願いして何とか走り出す。幸い、数回のキックで普通にエンジンがかかったが、走り出すとハンドルもまだ多少ずれており、フェアリングも大きく傾いていて気が散る。振動でフェアリングとステーの壊れたねじ穴から不快な音が聞こえてくる。GPキャブにRRT2のDB NORIには申し訳ないが、ゆっくりと少しずつホテルへ這うように戻る。マルコムのホテルに遂に到着、マシンを駐車。一気に気が抜ける。取り合えず、もう今日は単車で転ける事はない安堵感。荷物を受け取りに行き、事情を軽く説明し、DB NORIのホテルへ戻る。やけ酒を大いに喰らいたい気分だ。が、もう周りのパブは閉店しかけていて、ホテルのバーでさえ怪しい。DB NORIの部屋に戻るとそんな気力も無い事に気付いた。今日は一日、長すぎて、濃すぎる。最高の瞬間と最悪の瞬間を同時に味わった一日。なんてこった。DB NORIの持参したラーメンを今日も慰めにもらい、コーヒーを流し込んで大人しく休む事にする。何て言ったって、転倒してしまったのだ。明日以降に体が痛みだすかもしれない。明日はゴルディクラブのミーティングがあり、相方もロンドンから飛行機で折角来るというのに・・・これからどうしろっていうんだ? 残り旅は公共交通機関かよ!?





フェアリング装着の最後の写真。
マン島のグランドスタンドというのが良い記念。




ホテルにようやく帰りついた。
血が滲んで汚れた手。




アクシデント翌日の我が愛車。


次回は 「公共交通機関旅?」


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